発達社長の歯を食い縛る日記|推しに会いたかったのではなかった
今回は「発達社長の歯を食い縛る日記」シリーズの2回目になります。
このシリーズでは、発達障害を持つ私が自営業を営む日々のリアルを、飾らずに書いています。
今回は、35年間追いかけてきた推しのライブに行くのをやめた話です。
良席のチケットを持っていたのに行かなかった。
その理由を掘り下げていくと、自分の半生を振り返ることになり、ひとつの気づきにたどり着きました。
推しに会いたかったのではなく、あの頃の自由な自分に会いたかっただけだった、ということです。
好きだから行くのか、ただしがみついているだけなのか。
その違いが、やっとわかりました。
なお、今回は自分語りが強めで、10代の頃のキモいオタク活動も赤裸々に書いています。
そういうのが苦手な方はそっと閉じてください。
また、このシリーズは普段の口調のまま、である調で書いています。
まとめ
- 15歳で始まった追っかけ時代
- 神対応の別の歌手に乗り換えた
- 19歳、推しよりバンド活動にのめり込んだ
- 好き放題に生きた20代と実家の喪失
- 父への尊敬とカウンセラーへの道
- 600人中、続けているのは自分だけ
- 26年ぶりに封印を解いたら
- 行かなかった理由を並べてみる
- 会いたかったのは推しではなく、あの頃の自分だった
- 好きと執着は違う
- まとめ
15歳で始まった追っかけ時代
今回行くのをやめたのは、15歳から応援しているデビュー35周年になる歌手のライブだ。
彼女は今年55歳で、私は50歳である。
10代の頃は彼女の追っかけであった。
当時はかなり熱心なファンで、彼女からは良くは思われていなかったと思う。
彼女は関西と名古屋と東京のラジオでレギュラーを持っており、そこにハガキを山ほど送っていた。
名古屋でのライブ後には放送局の前で出待ちをしたりもした。
追っかけ活動をしている内に、オタクの知人が数人できた。
東京でのライブの時は、知人のアパートに何度か泊めてもらった。
浜松の遊園地や伊勢のテーマパークでのライブなど、全然客がいなくても追っかけていた。
当時はradikoがないため、関西以外の放送は知人たちにカセットテープを送ってもらい聴いていた。
ただ、出待ちで花束などを渡しても、彼女は素っ気なかった。
恐らく、私たちのことが怖かったのだろうと思う。
神対応の別の歌手に乗り換えた
出待ちで素っ気ない対応をされ続けた後、次に別のラジオパーソナリティの歌手が好きになった。
知人たちが「神対応をしてくれる」と勧めてきたからだ。
彼女のラジオのトークは軽快で面白かった。
リスナーを一人一人大事にしてくれて、ちゃんと名前を覚えてくれていた。
ただ、ヒット曲はなく、東京と名古屋でだけ人気があり、大阪では客が入らなかった。
私は大阪支部長のような感じでライブを盛り上げ、ラジオ局で出待ちをしてプレゼントを渡した。
番組にハガキも送りまくっていた。
また、同じ事務所の別のアーティストのファンにもなり、ライブに行っていた。
これが15歳から19歳の間の自分の行動である。
19歳、推しよりバンド活動にのめり込んだ
19歳の時に音楽専門学校に入った。
私はコミュ障だが、歌は上手かったのですぐにバンドにスカウトされた。
発達障害でMCもできず、言語化能力が低いため、作詞も作曲もできなかった。
だが、バンド自体の演奏が上手かったので、コピー曲などで在学時は学校一のバンドであった。
推しに向けていたエネルギーを全てバンドに注ぎ込んだ。
そのため、彼女のライブには興味がなくなった。
ただ、ADHDが今よりも強かったため、バンドのスケジュールの遅刻は日常茶飯事であった。
だが、特に謝りもせず、ふてぶてしい態度であり続けた為、2年でバンドは解散した。
好き放題に生きた20代と実家の喪失
25歳からは父が経営する鉄工所を手伝うことになった。
ただ、30歳の時に倒産し、実家を失う。
20代の頃は、10代でモテなかった反動もあり、ちょうど出会い系サイトが始まった時期であった。
手当たり次第に出会いを求め、合コンも週に何回も開いていた。
若さと体力があるからできたことで楽しかった半面、めちゃくちゃな生活だった。
30歳の頃に妻と出会い、それ以降は落ち着いた。
父への尊敬とカウンセラーへの道
私の父は80歳だが、現在もフルタイムで鉄工所に雇われ工場長として働いている。
年金の額が少ないのもあるが、尊敬に値する。
父は私の小さい頃から毎日早朝から深夜まで休みなく働いていて、仕事が趣味みたいな人間だ。
私も経営者をしていた時の父くらいの稼ぎが欲しいと思っている。
だから自営業をしているのだ。
倒産後、父は雇われの工場長として別の鉄工所で働くようになった。
そして、一人息子の私にも同じ工場で働くよう促してきた。
だが、私は発達特性もあり、手先が不器用で物作りが苦手だった。
空間認識能力が低いため、製図も苦手で、全くもって向いていなかった。
また、父が敷いたレールには乗りたくないとも思っていた。
私の周りの友人は製造業や運送業などで、全員高卒であり、コミュ障のため営業などはできない。
会話をしていても、給料が低いだの上司の愚痴などしかない。
嫌なら辞めればいいと思うが、家族ができたのでやめられないとばかり言う。
私はそんな人生が嫌なので、自分でカウンセラーという道を選んだ。
600人中、続けているのは自分だけ
34歳の頃に、カウンセラー養成講座に通い、カウンセラーという仕事を見つけた。
一旗あげたいと思って始め、紆余曲折あったが、16年続けてやっと手に職がついた。
2010年に養成講座を卒業したが、現在も続けているのは600名の卒業生のうち私だけである。
別にそのことに特別な自負があるわけではない。
養成講座の学校に未練もないし、背負っているつもりもない。
ただ、事実としてそうだという話だ。
何者かになりたいという承認欲求や負けず嫌いが、結果的にここまで続けさせたのだと思う。
友人たちは子供も成人になり、ここから余生を楽しむのかもしれない。
しかし、私は死ぬまで働く気でいる。
だから、年老いてもできるカウンセラーという仕事を選んだ。
26年ぶりに封印を解いたら
19歳で推しから離れて以来、45歳になるまで彼女のライブには一度も行かなかった。
26年間も空白がある。
理由は、10代の追っかけ時代が自分にとって黒歴史だったからだ。
出待ちをしたり、ハガキを山ほど送ったり、遠征を繰り返したりした過去は、大人になってから振り返ると恥ずかしかった。
妻にも言いにくい類の話だった。
それが、45歳を過ぎた頃にようやく時間が経って消化できたのか、ふと「また行ってみようかな」と思えるようになった。
昨年も行った。
しかし、今回は行かなかった。
行かなかった理由を並べてみる
彼女のライブのチケットは取っていた。
しかも、かなり前の方で見られる良席だった。
しかし、結局行かなかった。
まず、雨だったことが大きい。
私は普段、深夜に一人でドライブするのが好きなくらい、車移動が前提の人間だ。
だが、今回は妻が仕事で車を使うため、駅まで自転車で行く必要があった。
雨の中、傘をさしながら自転車で向かうのが嫌だったのだ。
会場の環境も良くなかった。
ライブハウスのキャパが200程度で、席間が狭くギュウギュウ詰めがしんどい。
反響も悪く、音がうるさ過ぎる。
彼女のファンは50代のおっさんばかりで、冬でも体臭や加齢臭がキツい。
その中に長時間いるのもしんどかった。
そして、去年のライブで気づいたことがある。
代表曲以外を聴いているのが、かなりしんどかったのだ。
彼女のライブは、彼女が10代の頃の曲で構成されている。
ノリは良いが、歌詞が50代の私には全く共感できない。
今の自分の思考や価値観に合っていないのだ。
私が聴きたい曲は昔の代表曲だけで、いつもアンコール前に演奏される。
それまでの20曲ほどを我慢して聴いていなければならないのも、結構堪える。
彼女への批判が多くなってしまった気もするが、これが正直な感想だ。
会いたかったのは推しではなく、あの頃の自分だった
毎年3月のライブだけは誕生日も兼ねて、ライブ後に握手会がある。
昨年も行ったが、彼女は結構素っ気ないのだ。
私も年を取って風貌も変わったので、彼女は覚えていないだろう。
ライブに対してこういうネガティブな感情を持ったのは初めてだ。
妻といつも見に行くサカナクションやラブサイケデリコや日食なつこのライブでは、早く見たいとしか思わない。
恐らくこのライブに惹かれていたのは、15歳から30歳くらいまでの楽しかった思い出が想起されるからだ。
自分の欲望のままに好き放題生きていた時が楽しかったのだ。
後先考えず、責任も負わず、仕事に追われず、悠々自適に過ごしていた時が懐かしいだけだった。
つまり、推しに会いたかったのではなく、あの頃の自由な自分に会いたかったのだと思う。
好きと執着は違う
でも、今は違う。
自営業として、妻と二人で築いてきた事業がある。
過去の自分は自由で楽しかったが、何も残せなかった。
今の自分は不自由だが、カウンセラーとして16年やってきた事実がある。
そして、自己理解が深まった今だからこそ、わかることがある。
- 共感できない曲を20曲も我慢して聴くこと
- 雨の中、自転車でライブハウスに向かうこと
- 加齢臭が充満する狭い空間に長時間いること
それは「好き」ではなく「執着」だ。
昔の自分にしがみついているだけだった。
好きなものには、理屈抜きで体が動く。
サカナクションのライブなら、雨だろうが何だろうが行く。
でも、このライブには理由を並べて行かなかった。
それが答えだと思う。
好きと執着の違いに気づけたこと。
自分にとって何が必要で何が不要かを、ちゃんと選べるようになったこと。
それが、50歳の私が出した答えだ。
この記事を書いた人
経験と専門性
- 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
- ASD・ADHDの混合型診断済み
- モラハラ加害者としての更生を実現
- 週刊文春オンラインで連載で加害者心理と更生過程を完全公開
臨床経験(2010年〜)
カウンセラーとして幅広い支援経験
- 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
- 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
- うつ病の方の復職支援
- 元受刑者・薬物依存者への更生支援
- ひとり親・DV被害者相談
- 企業内パワハラ相談
- 自助グループ・セミナー開催
メディア掲載実績
新聞・雑誌掲載
- 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
- 産経新聞(2021年9月)
- 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
- 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
- ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)
テレビ・ラジオ出演
- NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
- KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)
全国11媒体でモラハラ解決の専門家として紹介
カウンセラー集客専門のリフレクって?
リフレク(Reflec)は、カウンセラー専門のWEB集客支援サービスです。
他社コンサルとの決定的な違い
現役カウンセラーが集客コンサルを行う
一般的な集客コンサルの多くは、WEBデザイナーやマーケター出身で、カウンセリングの経験がなく現場を全く知らない方ばかりです。
私たちは15年間の豊富な臨床経験を持つ現役カウンセラーとして、カウンセラー特有の悩みや課題を深く理解しております。
メディア実績による確かな信頼性
週刊文春オンラインへの連載をはじめ、全国11媒体でモラハラ解決専門家として紹介されています。
この実績は、私たちの専門性と信頼性を証明するものです。
専門分野
- カウンセラー特化型のWEB集客戦略立案
- 相談者に響く発信方法の指導
- 信頼構築のためのコンテンツ作成サポート
- カウンセラーの強みを活かしたブランディング
- 実績のないカウンセラーでも集客できる手法の開発
- 同じ経験を持つ専門家として、カウンセラーの状況に寄り添うことが可能
私たちの想い 「カウンセラーが食べられる世の中を作りたい」「カウンセラーの地位を向上させたい」という想いで、集客に困っているカウンセラーの支援を行っています。
15年間で100人以上のカウンセラーが集客できずに廃業する現実を目の当たりにした私たちが現実的かつ実用的な集客サポートを提供させて頂きます。
まとめ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
35年間追いかけてきた推しのライブに行かなかった。
理由を掘り下げていくと、推しに会いたかったのではなく、あの頃の無責任で自由だった自分に会いたかっただけだった。
好きなら理屈抜きで体が動く。
行かない理由を並べている時点で、それは好きではなく執着だ。
発達障害を持つ私にとって、自己理解が深まるというのは、こういう小さな選択の中に表れる。
自分にとって何が必要で何が不要かを選べるようになったこと。
それが、50歳の今の自分にできるようになったことだ。
もし、あなたが集客で悩んでいたり、少しでも疑問や不安を感じた場合は、ぜひ私たちにご相談ください。
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些細なことでも構いませんので、一人で抱え込まずに気軽にご連絡くださいね。
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