⑦発達障害でも自営業を10年続けられた理由|天井がグルグル回った

前回は、結婚後の離婚危機と、メンターとの出会いを振り返りました。

今回は、あえて選んだ激務の区役所での日々と、そこで体が壊れるまでを振り返ります。

結論から言うと、感覚鈍麻という発達特性ゆえに、私は自分の限界に気づけないまま働き続け、ある朝、突然倒れることになります。

もくじ

  1. あえて忙しい区役所へ
  2. 3年で責任者が5人交代した職場 
  3. 満員電車とダッシュと、日曜の憂鬱
  4. 6枚綴りの呪いの手紙 
  5. お土産は配るが、雑談はしたくない
  6. 無自覚のまま壊れていく体
  7. ある朝、天井がグルグル回り出した
  8. 後遺症で野球もジョギングもできなくなった
  9. まとめ

あえて忙しい区役所へ

前職の職場はクライアントの数が少なく、牧歌的な雰囲気は悪くなかった。
だが、もっと実務経験を積みたいと思い、2年ほどで退職し、あえて忙しいと噂の区役所に転職した。
区役所では毎日8人以上の面談を行い、それに伴う報告書を書かないといけない。
残業は当たり前で、事務処理が到底、定時では処理できない。
それでも所定のノルマは残さないといけないという環境だった。
責任者は「数字は気にしなくていい」と言いながら、毎月の会議で数字を発表され、新人だった私は最下位が続いたため、気にするなという方が無理だった。
前職はカウンセラーとして面談をすれば良かったが、区役所ではチームのリーダーとして営業の人たち3人に動いてもらわないといけなくなった。
ADHD特性上、最も苦手なスケジュール管理があり、クライアントのダブルブッキングは日常茶飯事だった。
職場環境も全く異なり、前職はスタッフの人数も少なく静かな職場だったが、区役所はワンフロアにスタッフが200人以上いて、騒音が酷い。
受付からの呼出、電話が鳴りまくるなどで、マルチタスクが苦手な私は、2年ほどはすぐにフリーズしていた。
イレギュラーな来客も日常であり、その度に作業が中断された。
電話の取り継ぎや伝言の依頼なども多く、言われたことを思い出せなくなったことも一度や二度ではない。
何度も怒られ、謝った経験がある。
それらの苦い経験から、自分の記憶力を信頼することはなくなった。
付箋やメモを必ず取ることで対応した。

3年で責任者が5人交代した職場

区役所での仕事は激務であり、私はリジェネが本業であるため、副業が可能な契約社員という雇用形態だった。
この会社の責任者は3年で5人変わっている。
理由は大病を患っているからで、ガン、心筋梗塞、適応障害などである。
責任者も基本的に他責体質でパワハラ、ロジハラ的な人が多く、部下からパワハラで訴えられた事例もある。
このような過酷な職場のため、3年で15人以上は辞めた記憶がある。
3日以内に辞めた人が3人いた。
その中でも私がこの職場で続けられたのは、パワハラ体質の上司たちに対して、モラハラやパワハラへの対処法を実践していたからだ。
それを行うことで信頼関係も構築できて、私への攻撃はほぼなく、今までの仕事の中で一番快適に過ごせた感はあった。
ただ、最初から順調だった訳ではなく、マルチタスクが当たり前な環境に慣れるのに2年はかかった。
報告書の誤字脱字は日常であった。
会議で意見を求められるのが怖く、すぐに頭がフリーズして意見が出ず固まっていたので、想定される質疑応答の内容をあらかじめ用意するなどの準備はしていた。
営業に比べて相談員はタスク量が倍以上多いため、仕事に関連しない私語は極力しないようにしていた。
聴覚処理能力だけは高いため、報告書の文章を考える時は、脳内で考えず口に出して考え、それを打ち込んでいた。
両隣の人たちからは、大きい独り言をいう変わり者という印象を持たれていたと思う。

満員電車とダッシュと、日曜の憂鬱

毎日ギリギリで生きていたが、それでもリジェネの仕事はしないといけないと思い、残業の帰りにカフェには休まず寄っていた。
家に帰ると、とりあえずご飯を食べて風呂に入ったら3秒で寝落ちする。
一瞬で朝になり、朝食も食べず、髪はボサボサのままチャリを駅まで立ち漕ぎする。
駅前の自転車置場の兄ちゃんに自転車を投げるように渡し、駅まで猛ダッシュ。
締まりかけのドアに体を無理やりねじ込んで、ギリギリ電車に乗る。
いつも電車は満員で、夏場は特に汗だくで、20分くらいは心拍数が高くハアハア言っていた。
満員であれ、私の周りは人が空くような感じだった。
週末は、疲れていようが必ず出掛けるようにしていた。
ドライブが趣味であり、妻と小旅行やモールへの買い物、日曜の晩は必ずスーパー銭湯に行くのも日課だった。
広くて人があまり居ない温泉が良いので、わざわざ家から50km離れた温泉に行っていた。
日曜の晩は毎週、憂鬱だった。
本業のタスクが思うように進んでいないという部分が一番大きく、年末になると特に落ち込むことが多かった。

6枚綴りの呪いの手紙

2年目に、この部署の主的なお局さん的な先輩から、便箋で6枚綴りの手紙をもらった。
その内容は「あなたはメシア(救世主)コンプレックスだ」「あなたがしていることは承認欲求を満たす行為だ」というものだった。
この時点で私は環境にも慣れてきて、そこそこ数字も上がってきていた。
面談においても余裕が出てきたため、一人一人丁寧に時間をかけてやっていた。
そうすることで確実に数字が上がってきたのだが、それが彼女の危機感を煽ったのか、丁寧な手書きのラブレターをもらった。
私は1年目、全く仕事ができず怒られまくっていたため、その回避方法として毎日お菓子を配っていた。
そうすることで上長からの私への風当たりは、かなり緩くなった。
ただ、このお局だけはお菓子を渡すと、返すのが手間だから要らないと言って受け取らないようになっていった。
彼女にだけお菓子を渡さない状態になり、みんなの輪にも入れず、そのストレスを一番新人の私にぶつけてきたのかと思う。
お菓子ならいくらでもあげるから、呪いのような手紙をよこすなよとは思ってしまう。
この件を上長に報告したところ、彼女は解雇された。

お土産は配るが、雑談はしたくない

私は定期的に小旅行に行っていたので、饅頭や煎餅などは必ず会社で配っていた。
ただ、これは矛盾するようだが、基本的に会社は仕事をするところであり、私語や雑談には興味がない。
上長が「福井県なら東尋坊にも行ったの」と話しかけてきても「はい」とだけ答えて会話を終わらせ、喋りかけるなオーラを出していた。
そんな福井県あるあるの会話は求めていない。
これは業務に集中したいためであり、他の人もお土産を配っているから配っているだけで、それによって仲良くなりたいとは微塵も思っていない。
1年目にお菓子を配っていた時も、決して会話をしたい訳ではなく、私への風当たりを緩めるのが目的なだけだった。
上長や先輩たちとも話を広げた記憶はなく、現物支給をし続けることで培った信頼関係なだけなのだ。
会話や雑談が苦手でも、飴や食べ物を配っていれば何とかなる。
これは、コミュ障の究極のラポール形成方法かとは思っている。

無自覚のまま壊れていく体

自分では無自覚だったが、体調に異変が出るようになった。
差し歯が月に1回は取れる。
これは歯の食いしばりが強すぎるためと診断された。
坐骨神経痛にもなり、足が痺れてまともに歩けなくなった。
このせいで革靴が履けなくなり、今でもスーツであれ、黒のニューバランスのスニーカーしか履けない。
酷い時はコルセットを巻くことで対応していた。
パソコンの画面も見れなくなった。
眩しくて目を開けていられない感覚で、画面の明るさを一番暗くしてギリギリ見れる状態だった。
眼科に行くと、重度のドライアイと診断された。

ある朝、天井がグルグル回り出した

感覚鈍麻のため、寝たら大丈夫と思っているくらいではあった。
突然、その時は訪れた。
何の予兆もなく、朝起きたら天井も床もグルグル回り出して、全く立てない。
立とうとしたら転んで倒れる。
嘔吐も止まらなくなったため、私は救急搬送された。
そこから3ヶ月ほど寝たきりになった。
トイレに行くのも這ってしか行けず、左を向くと吐きそうになり、あぐらの姿勢をしても吐きそうになるので、ずっと右を向いて寝ていた。
常に吐き気があるため、ウィダーインゼリー的な物を1日かけて吸いながら過ごしていた。
YouTubeを見ても気分が悪くなり、本も読めず、目を閉じてもグルグル目が回る、本当に地獄のような期間だった。
眠たくても頭がグルグル回るので全く眠れない。
不眠というのは、こんなにしんどいのかと実感したのは、この時が初めてだ。
3ヶ月経って家の中だけは歩けるようになったが、乗り物には2年ほどまともに乗れず、会社は解雇された。
こんな身体で社会復帰ができるのかと不安ではあったが、子どものようにチャリに乗る練習を行い、近所のカフェに行けるようになった時は、物凄く嬉しかった記憶がある。

後遺症で野球もジョギングもできなくなった

私の場合は、メニエール病に至る要因に発達障害の特性も関与している。
視点移動が脳疲労の要因であり、特にPCでの作業を長時間すると、翌日は目眩と吐き気で起きれなくなる。
時間差で疲労が来る感じだ。
これまで頭痛とは無縁の人生であった。
それが、倒れてから気圧の変化に過敏になった。
雨や台風の日は後頭部がバキバキになり、動けなくなる。
美容室や歯医者の椅子で頭を平行より下にされると、一瞬で吐きそうになる。
熱中症にもなりやすくなった。
空調が効いている室内でも、知らぬ間に熱中症になり、吐き気や目眩が起こる。
めまいで倒れていた期間で著しく体力が低下し、少し歩くだけでも息が切れるようになった。
人生の大半を費やしていた野球もできなくなった。
バットを振る動きは回転運動のため、目眩が起きるし不安定になる。
ジョギングもできない。
早歩き以上のスピードを出すとふらつくためだ。
もう、できないことだらけである。
加えて、倒れるまでは目立つ箇所に数本程度だった白髪が、この期間で半分以上を占めるようになった。
これはストレスの最たるものだと思う。
発達障害もあり、身体も不自由になるという、何重苦な人生やねんという感じである。

この記事を書いた人

経験と専門性

  • 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
  • ASD・ADHDの混合型診断済み
  • モラハラ加害者としての更生を実現
  • 週刊文春オンラインで連載で加害者心理と更生過程を完全公開

臨床経験(2010年〜)

カウンセラーとして幅広い支援経験

  • 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
  • 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
  • うつ病の方の復職支援
  • 元受刑者・薬物依存者への更生支援
  • ひとり親・DV被害者相談
  • 企業内パワハラ相談
  • 自助グループ・セミナー開催

メディア掲載実績

新聞・雑誌掲載

  • 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
  • 産経新聞(2021年9月)
  • 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
  • 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
  • ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)

テレビ・ラジオ出演

  • NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
  • KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)

全国11媒体でモラハラ解決の専門家として紹介

まとめ

あえて選んだ激務の区役所。

満員電車に飛び乗る毎日、差し歯が取れ、坐骨神経痛になり、ドライアイになっても、私は無自覚のまま働き続けました。

6枚綴りの手紙をよこしたお局さんとの一件も、お菓子とお土産で築いた不器用な信頼関係の中の出来事でした。

そして、ある朝、天井がグルグル回り出し、私は救急搬送されます。

このメニエール病の発症が、私にとって人生最大の転機になります。

次回は、倒れてから、どうやってリジェネ一本で歩み出していったのかを振り返ります。

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