⑥発達障害でも自営業を10年続けられた理由|結婚してすぐ離婚宣告された

前回は、集客塾での挫折を振り返りました。

今回は、38歳での結婚から、離婚危機、そして発達障害への気づきまでを振り返ります。

この離婚危機がなければ、私は自分の発達特性に向き合うこともなかったかもしれません。

もくじ

  1. 38歳、結婚式当日は無職だった
  2. 毎日4時間の残業と終電生活 
  3. 妻から告げられた言葉
  4. 精神科受診と休職 
  5. 妻が気づいた「発達障害」
  6. メンターとの出会い
  7. 「そんなことは絶対に思ってはいけない」
  8. 暗黙のドレスコードを、破ってしまった
  9. 突然の退職宣告
  10. まとめ

38歳、結婚式当日は無職だった

集客塾での挫折を経験した後、私は38歳で結婚した。
セルフガソリンスタンドの監視バイトを結婚前まで続けていたが、結婚式の期間は無職だった。
うちの親には、ずっとガソリンスタンドで適当にバイトをしていた息子が、突然「来月結婚するわ」と告げたため、かなりビビっていた印象がある。
結婚式は、妻の母親が働いていた神戸のテーマパークの式場で挙げた。
これも両親には何も言わずに突然伝えたので、驚いていた。
式に参列したのは、私側は友人6人と両親のみ。
妻側は50人以上いたと思う。
大勢の人に祝福されヘラヘラしていたが、実は無職で、次の就職先も決まっておらず、結婚式のスピーチも何も考えていなかった。
得意の場面緘黙が発症し、無音で変な空気になった。
一方、妻はスラスラと話していた。

毎日4時間の残業と終電生活

結婚後、初めて就いたのは、大学生の就労支援をするキャリアカウンセラーの仕事だった。
スーツを着るのも初めてで、気合いは入っていた。
カウンセリングの実務経験を積みたくて選んだ仕事だった。
しかし、実際に始まってみると、驚くほど事務処理が多かった。
しかも事務だけではない。
集客の電話担当、サイトの管理、週3回の合同説明会など、カウンセリングと関係のない仕事も次々と振られた。
カウンセリング業務自体は、1日3人ほど担当していた。
だが、それ以外の時間はほぼ雑務で埋まっていた。
同僚の中には「そんな仕事できません」とキレて断る人もいた。
しかし、ADHDの私は、言語化能力が低くコミュ障だったため、仕事を振られても断れなかった。
「仕事ができない奴と思われたくない」「嫌われたくない」という思いから、すべて安請け合いしていた。
そもそも発達特性上、事務仕事は向いていない。
マルチタスクが苦手で、ワーキングメモリも少なく、自身のキャパシティも理解していない。
定時に終わるはずもなく、残業しないと処理できなかった。
毎日4時間の残業は当たり前で、終電で帰ることも多々あった。
同僚や先輩に手伝ってもらうのが日常茶飯事だったが、幸い、私のように事務仕事ができない人が3、4人おり、私だけが目をつけられることはなかった。
それでも勤務後半はかなり体力的にキツくなり、帰宅すると気絶するように寝落ちし、また会社に行くという日々を繰り返していた。
スーツを着るのも、事務系の仕事に就くのも初めてだったので、業界自体を理解していなかった。
今思えば、ブラック寄りの会社だったのだろう。
だが、当時は「そんなものか」と思っていた。
それでも帰宅後の時間と週末は、全てリジェネの活動に充てていた。

妻から告げられた言葉

そんな激務の中、ある日、妻から「もう、あなたと一緒にいるのがしんどい」「あなたがしていることはモラハラだ」と言われた。
当時の私は妻のために全力で働いているつもりだったので「何で、そんなことを言われないといけないんだ」とめちゃくちゃムカついて、強く反発したのを覚えている。
あまりにもムカつき過ぎて、口も聞きたくないと思い、数日間無視をしていた。
今振り返れば、これが私と妻にとっての大きな転機だった。

精神科受診と休職

妻から、精神的につらくなり精神科を受診したと聞いた。
私も慢性的な睡眠不足や過労に加え、妻から言われたことを考えるたびに動悸が激しくなっていた。
これはまともではないと思い、精神科を受診した。
Wワークの現状を伝えると「働きすぎだ」と言われ、適応障害と診断された。
休職した方が良いと言われ、会社員も自営業も一旦止めて、療養することになった。
少し回復してきた頃、モラハラと言われたことに対して、精神科併設の臨床心理士のカウンセリングを受けたり、アンガーマネジメントのセミナーに参加したり、自助グループに通ったりもした。
その時は、これで自分なりにちゃんと向き合ったつもりになっていたが、実際には「わかった気になっていただけ」だったと、今では思う。

妻が気づいた「発達障害」

妻は、私との解決策を探そうと、心理書を読み漁るようになった。
その中で、児童向けの発達障害の本に書かれている特徴が、私にあまりにも当てはまっていることに気づいた。
それまでも、私は自分でうっすら「発達障害かもしれない」と口にしたことがあったが、妻はそれを軽く流していた。
しかし、実際に特性のリストを見て「あれ、夫ガチで発達障害やん」と気づいてから、妻は私の行動パターンを、単なる「困った癖」ではなく「脳の特性」として捉え直してくれるようになった。

空気を読めない

変化への強い拒否感

決めた通りにならないとフリーズする

突然沸騰したように怒り出す

これらを特性として理解した上で、妻は対処法を試すようになり、そこから少しずつ、関係が変わっていった。
その後、実際にWAIS検査やAQ、ASRSといった発達検査を受けることになるが、その詳細な結果や検査の読み方については、リジェネのこちらの記事で詳しく書いているので、興味のある方はそちらも読んでほしい。

メンターとの出会い

療養を経て、次に就いたのが公的機関での相談業務だった。
この職場で、私はメンターと呼べるカウンセラーの先輩と出会う。
先輩は大学の心理学科卒でMBTIとキャリアコンサルタントの有資格者であり、論理的で言語化能力が高い、この道20年の熟練カウンセラーだった。
先輩は毎日、行きつけのカフェで炭火コーヒーを飲むので、私は毎日ついて行き、カウンセリングや心理学全般について質問していた。
何を質問しても、発達障害の私にわかるように丁寧に説明してくれた。
この職場は狭く、そんなに忙しくなかったため、面談をしている内容が全員に丸聞こえだった。
先輩たちの面談も聞けたし、私の面談についても毎回フィードバックをもらえたのが良かった。
これ以前の私は「考えたらわかるだろ」がわからなかった。
「見て覚えろ」もわからない。
だから、製造工などの職人の世界には向いていなかった。
私は子どもに教えるくらい手取り足取り、教えてもらわないとわからないのだ。
カウンセリングという仕事には、生まれて初めて興味を持った。
理由は、聴覚処理能力の高さが有効に働いたからだと思う。
製造業などは手先が不器用すぎて、失敗体験ばかりで嫌になっていた。
その反面、カウンセリングはそんなに労力なくできて、自分の中での成功体験を積めた。
直接人と関わる仕事で、感謝されることも多々あったので、その面でもやりがいを感じられたのが大きい。

「そんなことは絶対に思ってはいけない」

朝礼で、70代のマネージャーに「この場は安全のため、何を言っても大丈夫ですからね」と言われた。
そのため、私は「毎日、閉まり際にクレームを言いにくるクライアントが、嫌がらせをしに来ているとしか思えない」と言った。
すると、マネージャーは瞬時に「そんなことは絶対に思ってはいけない」とワナワナ震えながら怒り出した。
この場は全く安全でもなく、何を言っても大丈夫ではなかった。
カウンセラーであれば相手の言うことをジャッジしてはいけないだろとは思ったが、この人には話が通じないと判断し、反論するのは止めた。
先輩たちは、笑いを堪えるのに必死だった模様。

暗黙のドレスコードを、破ってしまった

この頃から、髪型をツーブロックにし始めた。
心機一転のつもりだったが、美容師に「バリカンで刈りましょう」と乗せられたのが直接のきっかけだ。
だが、やってみるとスッキリしたので、月1回の来店ごとにどんどん刈り上げの範囲が広がっていった。
最終的には、頭頂部にモヒカン程度にしか髪が残らなくなった。
ちなみに、この髪型は南大阪ではガラの悪さの象徴のような扱いで、妻には不評だった。
スーツにも拘りを持っていた。
当時、犯罪心理学もののドラマ「メンタリスト」を観ていて、主人公のコンサルタント・ジェーンがベストを着用していたのに影響された。
工場勤めが長く、スーツを着る仕事は初めてだったので、身なりに自由があるのが新鮮だったのだ。
公的機関にはあまり派手な人がいないのでかなり目立っていたと思うが、私がベストを着用し出すと、それまで誰も着ていなかったのに、課長などの上長たちも途端に着用し出した。
今思えば、役所には暗黙のドレスコードがあったのだろう。
私がトリガーになったのか、それ以降、髪を染めたり軽めのパーマを当てたりする人も出てきて、みんなの抑圧されていたオシャレ熱が爆発した感じだった。
暗黙のルールがわからないのはASDの典型的な特性だが、この時は結果的にプラスに働いた形だ。

突然の退職宣告

この職場はクライアントの数が少なく、数字も特に問われず、牧歌的な雰囲気は悪くなかった。
だが、もっと実務経験を積みたいと思い、2年ほどで退職し、あえて忙しいと噂の区役所に転職した。
辞める時はマネージャーには伝えていたが、それ以外誰にも相談していなかった。
退職日の当日に「今日で辞めるんです」と告げたので、メンターやスタッフ達全員びっくりした顔をしていた。
「ちょっと消化できませんね」「意味がわかりませんね」などと言われたが「お世話になりました」と言って、その場をあっさり去った記憶がある。

この記事を書いた人

経験と専門性

  • 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
  • ASD・ADHDの混合型診断済み
  • モラハラ加害者としての更生を実現
  • 週刊文春オンラインで連載で加害者心理と更生過程を完全公開

臨床経験(2010年〜)

カウンセラーとして幅広い支援経験

  • 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
  • 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
  • うつ病の方の復職支援
  • 元受刑者・薬物依存者への更生支援
  • ひとり親・DV被害者相談
  • 企業内パワハラ相談
  • 自助グループ・セミナー開催

メディア掲載実績

新聞・雑誌掲載

  • 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
  • 産経新聞(2021年9月)
  • 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
  • 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
  • ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)

テレビ・ラジオ出演

  • NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
  • KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)

全国11媒体でモラハラ解決の専門家として紹介

まとめ

無職のまま迎えた結婚式、参列者6人という寂しい門出。

その後、大学生の就労支援での激務が続く中、妻から「モラハラだ」と告げられ、離婚を突きつけられました。

適応障害での休職を経て、妻が児童向けの心理書から「夫はガチで発達障害だ」と気づいてくれたことが、私たち夫婦にとって大きな転機になります。

メンターに出会ったおかげで、私は生まれて初めて、仕事の技術を身につけられた実感を得ました。

次回は、より実務経験を積むために飛び込んだ、区役所での奮闘と、そこで体を壊すまでを振り返ります。

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