④発達社長の歯を食いしばる日記|認められた喜びが、歪みに変わった日
前回は、続かなかった仕事と、草野球への異常な執着を振り返りました。
今後の投稿予定
- 第1回:殺されると思っていた幼少期
- 第2回:一番やばそうな目をしていた頃
- 第3回:仕事は続かず、野球にだけ全力だった
- 第4回:認められた喜びが、歪みに変わった日(今回)
- 第5回:あなたは80歳まで売れない
- 第6回:離婚危機が教えてくれた発達障害
- 第7回:ある朝、天井がグルグル回り出した
- 第8回:それでも、この仕事は諦めなかった
※第5回以降は順次公開予定です。公開され次第、リンクを追加します。
今回は、製油所を解雇された後の引きこもり生活から、カウンセラーという仕事に出会い、人生で初めて人前で認められるまでを振り返ります。
ただ、この喜びは、思わぬ形で私を歪ませていくことになります。
もくじ
深夜ラジオが教えてくれた「自分だけじゃない」
製油所でのいじめと解雇のショックで、私は再びうつ状態になった。
自分としては、この仕事は危険な分、給与が高く、3年ほどして独り立ちすると月収50万円以上にはなるので、キツいながらも続けようとは思っていた。
将来への希望が突然なくなった感じで、また引きこもり生活に陥った。
その時に、深夜3時からFMのラジオで、山本シュウというDJが人生相談を2時間ほどしていた。
それを聴きながら、世の中にはこんなにも多くの悩んでいる人がいるのか、自分だけではないんだということに気づいた。
心の拠り所として、毎週聴くようになった。
ただ、この時点では、かなり人間不信で人目を極度に気にしており、コンビニにも誰にも会わない深夜に行くようにしていた。
カウンセラー養成講座に通う
少し気力が湧いてきた時に、自分も山本シュウのように、悩んでいる人の役に立ちたいと思い、2009年に民間のカウンセラー養成講座に通い始めた。
この時点でも電車に乗ると人目が極端に気になり、どれだけ空いていても座席には座らず、ドア側に立ち、地下鉄でもずっと外を見ていた。
30人ほどのクラスだったが、34歳の私は年少の部類だった。
講座自体は6ヶ月ほどあり、超コミュ障で元から雑談が超苦手な私からすると、かなりハードルが高い空間だった。
だが、年少のため、大人たちは周りに溶け込めない挙動不審の私を気にかけてくれた。
人から悩みの相談なんて生まれて一度もされたことがないし、自分からしたこともない。
講座が進んでいくほどに、かなり場違いな場に来たと不安にまみれていた。
人生で初めて人前で認められた日
そんな不安がMAXの中、先生から日替わりで順番に、毎日5分程度、自分が思うことを自由に発表するというプレゼン時間が設けられた。
超絶に病んでいる私からすると、大勢の前で話すのは恐怖でしかなかった。
自分の番が来るのを震えていた。
その時点の私は、大勢の視線に晒されるのも恐怖で、発達特性から頭が真っ白になるため、着席をしメモを見て、震えながら文字を追いボソボソと話した。
内容は、学び立ての心理学の知識を元に、自身の生い立ちから掘り下げたものだった。
幼少期に父からDVにあったこと、劣等感を感じているため自己防衛のために虚勢を張っていたこと、人を見下すことで自分を壊れないように保っていたことなど、青年の主張的な内容だった。
その様子がみんなの心を打ったようで、女性はほぼ泣いていたし、男性陣からは「よく言った」「お前、すごいな」と賞賛された。
結果的に、この儀式的な行為を行ったことで、大勢から認められたという、ほぼ人生で初めての経験をした。
聖人君子の洗脳
ただ、ここまでだと美談で終わるが、ここから私はおかしくなっていった。
周りからの評価は「心が綺麗な人」「聖人君子 」的な扱いになり、私はその期待に応えるように数年生きるようになる。
今思えば、ある意味、自分自身に聖人君子の洗脳をしていたような感じだ。
人の悪口を一切言わない、何なら悪口ではなく、否定的なことを思った自分自身がダメだ、律しないといけない。
心理学でいうところのイド(欲求)を抑圧し、超自我(社会的規範)のみで生きるという、人間としてかなり歪んだ仕上がりになった。
今まで全くしたことがなかったボランティア活動にも行くようになった。
例えば街頭のゴミ拾いである。
ただ、私が参加した動機は、今思えば不純だった。
社会的に素晴らしいことだからという理由で参加していただけであり、奉仕の精神という概念は、現在の私の心の中にはない。
なぜなら、それができるほど自分はお金が潤沢にある訳ではないし、日々のタスクに追われており、心の余裕がないからだ。
この頃の私は自分の意思がなく、妻が何を言っても否定も批判もせず、全肯定で無味無臭で、ずっと微笑んでおり、かなり気色が悪かったと思う。
ドカベンに出てくるほほえみ三太郎のような表情を常にしていたと思う。
NPO法人の立ち上げと挫折
そうこうしている内に講座が修了し、有志の人たち10人程度で、カウンセリングオフィスを大阪市内の一等地に構え、それをNPO法人化した。
その頃の私は営業経験もなく、会社やNPO法人の立ち上げ方も知らないため、とりあえず参加していた。
周りの大人たちが何とか軌道に乗せてくれて、お客さんが次々に来るだろうという、小学生レベルの青写真を描いていた。
結果的に、このNPO法人自体は1年ほどで家賃が払えず廃業になる。
その理由は、誰一人、集客のスキルを知らないからだ。
カウンセリングオフィスのホームページはあったが、ホームページビルダーで作ったペライチ的なもので、ホームページがあればお客さんが来ると誰もが疑っていなかった。
むしろ、ホームページが持てたことに「めっちゃすごいやん」と賞賛するのみで、それで全員満足している空気感があった。
私は、その頃グループホームでバイトをしながら事務所に顔を出していたが、いつ行っても大人たちはお茶を飲みながら井戸端会議をしていた。
集客ができていないことへの焦りは微塵も感じられず、むしろ数ヶ月に一度お客さんが来たことに大はしゃぎしていた感がある。
1年間での来客は5人程度だと思う。
代表の人は、選挙前の政治家のように耳障りの良い、実現不可能なことを話すのが得意なため、全員、彼の言うことを真に受け、彼についていっていた感はある。
私もその一人である。
その頃の私は世間知らずで集客について何の知識もない超情弱だったため、野党のようにツッコむ能力はなかった。
廃業した事務所の片付けをしている時は「またダメだった」と、かなり物悲しかった思い出がある。
この記事を書いた人
経験と専門性
- 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
- ASD・ADHDの混合型診断済み
- モラハラ加害者としての更生を実現
- 週刊文春オンラインで連載で加害者心理と更生過程を完全公開
臨床経験(2010年〜)
カウンセラーとして幅広い支援経験
- 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
- 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
- うつ病の方の復職支援
- 元受刑者・薬物依存者への更生支援
- ひとり親・DV被害者相談
- 企業内パワハラ相談
- 自助グループ・セミナー開催
メディア掲載実績
新聞・雑誌掲載
- 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
- 産経新聞(2021年9月)
- 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
- 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
- ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)
テレビ・ラジオ出演
- NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
- KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)
全国11媒体でモラハラ解決の専門家として紹介
まとめ
深夜ラジオがきっかけで飛び込んだカウンセラー養成講座。
そこで人生初めて、大勢の前で認められるという経験をしました。
しかし、その喜びは「聖人君主」という歪んだ仮面をかぶることにつながり、今の自分の意思を失ったまま生きるようになっていきました。
有志で立ち上げたNPO法人も、集客の知識が誰にもないまま、1年で廃業。
「またダメだった」という物悲しさだけが残りました。
次回は、この失敗を教訓に、集客について学ぼうと奮闘した時期を振り返ります。
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