⑧発達社長の歯を食いしばる日記|それでも、この仕事は諦めなかった

前回は、区役所での激務と、メニエール病で倒れるまでを振り返りました。

今回はシリーズ最終回として、倒れてからどうやって再起したのか、そしてリジェネ一本でやっていくと決めた日々を振り返ります。

婆さんのチャリに抜かれながらリハビリを重ね、文章が1文字も書けなかった1年間を経て、2026年4月のKindle出版に至るまで、諦めなかった記録です。

もくじ

  1. 婆さんのチャリに抜かれながら
  2. 文章が1文字も書けなかった1年間 
  3. 2日で12000字書けるようになるまで
  4. ADHD特性への対処法まとめ 
  5. あの日から、話す練習を始めた
  6. 黒門放送局、ラジオ好きが形になった日々
  7. 車の中で話す練習を続けている理由
  8. ABEMAプライムでの手応えと課題
  9. 苦手なことは、妻に任せた
  10. お世辞が言えない理由
  11. 何をすればいいかわからない時に動いたのは妻だった
  12. 会社員という働き方への違和感
  13. フルタイム勤務が難しい体と、同じ悩みを持つ800万人
  14. ポンコツでも、自営業で続けられる
  15. 発達障害だと診断されて良かった
  16. サポートがあれば、成功への道は近くなる
  17. まとめ

婆さんのチャリに抜かれながら

体を壊したことが、結果的にリジェネ一本に踏み出すきっかけになった
もともと、私はリジェネ一本でやりたいと思っていた。
しかし、自営業は年間で見ると収入が不安定で、収入の低い月もある。
その不安が怖くて、会社員を辞められずにいた。
役所を長く続けたことで評価も立場も上がり、居心地が良くなっていたのもある。

私は家で仕事ができないため、最初はチャリで行ける範囲のカフェに、1日1時間程度から通い始めた。
これはリハビリも兼ねていた。
チャリの縦揺れでも目眩が起き、仕事をするというよりも休憩の目的でカフェに行っていた。
速いと気分が悪くなるので、チャリのスピードもめっちゃ遅く、ギリギリ倒れないレベルだった。
普通に婆さんのチャリに抜かれまくった。
これを繰り返している内に作業時間も伸びていき、結果的に現在は1日5〜7時間程度は作業ができるようになった。
不幸中の幸いで、記事も量産できて、2026年4月のKindle出版に至った。

文章が1文字も書けなかった1年間

集客塾や文章の書き方の本を10冊以上は読んだが、どれも役に立たなかった。
色んなひな形を取り入れて書こうとしたが、全くしっくりこず、納得できる文章が書けなかった。
書き方が問題ではなく、それ以前に私が何を言いたいのかが言語化できていなかったのが問題だった。
自分の実力以上の、上手い、カッコいい文章を書こうとしていたのも書けなかった要因だ。
これはADHD特性でもある「理想が高い」つまり見積もりが甘いのも要因である。
一歩目に何をしたら良いのか理解していないから動けなかった。
「文章を書く」というタスクがデカすぎたのと、抽象的なことがわからないASD特性も相まって、PCの前に向かっても金縛りのように文字が打てなかった。
公的機関では面談後の報告書を毎日何ページもスラスラ書けていたので、自分が文章を書けない人間とは全く自覚していなかった。
ただ、公的機関の報告書はある程度ひな形があり、それに沿って書けば良いのだ。
しかしブログ記事は自由すぎて漠然としすぎて書けなかった。
何度もPCに向き合って書けないという失敗経験を重ねると、次第に書くことが嫌で仕方がなくなった。
PCに向かうと場面緘黙かという程、頭が真っ白になりフリーズし、動悸が激しくなることも度々あった。
最終的には、激しい動悸の中で2時間かけて2行ほどの文章を書いた記憶がある。

2日で12000字書けるようになるまで

普通の人なら、こんなに文章が書けないなら、自分の能力に見切りをつけて別の仕事を探すと思う。
しかし、この異常な執念がASDのこだわりでもあり、結果的にタスクが進んだ要因でもあった。
最初は言いたいことが箇条書きなら出てきたので、それを接続詞で繋いで文章っぽいものにしていた。
まだChatGPTもない時代だったので、かなり苦労はしたが、これらを繰り返すことで少しずつ長い文章が書けるようになった。
ジャーナリングを毎日することで、自分の言いたいことが出てくるようになったのも大きい。
言語化能力が上がると同時に、文章も書けるようになってきた。
下手でも良いので自分の言葉で書こうと思い、日常を言語化するジャーナリング作業を日々行い、些細なことでも言語化できるようになってきた。
自分で30記事程度を書き出してから、徐々に書けるようになった。
それまで5000字程度の記事を書くのに7〜10日かかっていたのが、最終的には2日で12000字程度の記事を書けるようになった。

ADHD特性への対処法まとめ

文章が書けるようになるまでの過程では、ADHD特性への対処もいくつか実践してきた。
タスクが大きすぎて頭が真っ白になる時は、ゴールまでに必要なタスクを、できるだけ具体的に書き出し、不明点を極力減らす。
脳内が多動で集中できない時は、頭の中に浮かぶことを紙に全て書き出す、寝る前に明日のタスクを書き出す、ストラテラ(アトモキセチン)を服用する、という3つの対処をしている。
服用してから、以前は2時間が限界だった集中時間が、休憩を挟めば6〜8時間程度まで伸びた。
完璧主義で先延ばしになる時は「まず60点を目指す」と自分に言い聞かせる。
60点で一旦完成させ、そこから見直してテコ入れをすれば、結果的にそれなりのものができる。
日々のエネルギー管理としては、服や食事の選択を固定して決断疲れを減らし、集中が切れたらポモドーロ・テクニックや仮眠を取り、家事が溜まっている時はまず家事を片付けてから作業に戻るようにしている。
体調が良くても6時間以上は作業をせず、少し余力を残して終えるようにしている。
これらの詳しい対処法は、別記事にまとめているので、気になる方はそちらも読んでほしい。

あの日から、話す練習を始めた

2021年、NHK大阪のほっと関西という情報番組で取材を受けた。

しかし、全く思うように話せず、元加害者としての私の証言部分は丸々カットされ、私は妻の横にいるだけの映像に編集された。

これはかなり悔しかったし、このままではこの仕事で食っていけないと痛感した。

そこから、私は話す練習を本格的に行うようになった。

黒門放送局、ラジオ好きが形になった日々

私は幼少期からラジオが大好きで、ずっとやってみたいと思っていた。
現在もradikoは手放せない。
2019年1月、妻の知人が大阪の黒門カルチャーファクトリーという貸しスタジオで、黒門放送局というインターネットラジオを始めるということで、参加することになった。
月に1回、1ヶ月分の録音に臨んでいたが、私はアドリブで全く話せないため、毎回台本を作っていた。
「リジェネのモラハラ夫婦公論」という番組名で、モラハラ関連の内容はもちろん、自身の趣味や拘りを語ったり、日常で気づいたことを日記にして朗読するなど、自由な内容だった。
収録前にはカラオケボックスで2〜5時間程度のリハを3回は行って臨んでいたので、1ヶ月の前半が台本作りとネタ探し、後半がリハに費やされ、この頃はほぼ記事が書けなかった。
ただ、ラジオで話すこと自体は物凄く楽しく、毎回の収録後は達成感でいっぱいだった。
このラジオは2020年3月をもって終了した。
リジェネの集客が進んでおらず本業に専念しないといけない焦りと、リスナーがそもそもいなかったことと、コロナ禍に入ったことが理由である。
携わってくれたスタッフの方々には感謝している。
ラジオは私のライフワークであるため、再開するつもりである。

車の中で話す練習を続けている理由

車に乗るようになってから、車の中でずっと話す練習をしている。
これは頭の整理も兼ねている。
今日のタスクと前日のタスクの振り返り、タスクが進んでいない要因や自身の課題を自問自答している。
ネタを作る必要もなく、淡々と発話していけば良いだけなので、言葉を出す訓練には最適だと思う。
これは一人でミーティングをしているのと同じだが、スラスラ言葉が出る時は頭が回っている状態、疲労や目眩が強い日は言葉が出てこない。
これはPCでタブやウィンドウを開きすぎている状態に近い。
そんな時はまずジャーナリングを行うようにしている。
調子の良い日は脳内のみで思考が完結するが、無理な場合は機能しないので、とりあえず脳の外に情報を出す。
そうすることで脳内に空き容量ができて、少しずつ頭が動いてくる感覚がある。

ABEMAプライムでの手応えと課題

2026年7月、ABEMAプライムという生放送の討論番組に妻と出演した。
事前に質問票をもらい準備をしたが、生放送では質問票にない質問も当然された。
本番までに打合せを2回行い、対面での打合せは3時間に及んだが、本番は時間制限の中で矢継ぎ早に質問され、私も妻も詰まってしまう場面があった。
ただ、コメンテーターの方をイジって笑いが起きる場面もあり、ディレクターからは「良かった」と賞賛された。
それでも私自身は、もっとうまく話せたはずだという思いが残っている。
コメンテーターや有識者と言われる人たちは、瞬発力を持って適切な答えを返すことができる。
これが、私たち夫婦の今後の課題だと思っている。

苦手なことは、妻に任せた

2015年、妻とモラハラ解決専門のリジェネを立ち上げた。
ここでの最大のポイントは、最も苦手な営業や広報活動を妻に任せ、得意な相談業務に集中できるようにしたことだ。
全てを一人でやろうとせず、苦手なことは人に任せる。
これが自営業を続ける上で最も重要だった。
妻はビジネス交流会への参加、セミナーの開催、男女参画センターなどへの広報活動、異業種との交流やネットワーク構築、異業種との提携による相互送客を担当している。
結婚相談所を運営している人とはコラボセミナーを開催し、婚活で悩んでいる人に送客してもらっている。
離婚案件では弁護士、探偵と提携し、気軽に相談できる関係性を構築している。
同業者とはSNSで連絡を取り、重たいケースはDV支援や自助グループを開催している人に振っている。
集客コンサルとしても、デザイナーやカメラマンの知人を通じて、ホームページ制作や宣材写真、ロゴ作成などをリファーできる。
このように、妻が外部とのネットワークを構築し、私は相談業務に集中するという役割分担ができたことが、10年以上続けられた最大の理由だ。

お世辞が言えない理由

私が営業や広報活動が苦手な理由は、ASDの特性上「本当に思っていること」しか言えないからだ。
「とりあえず褒めて距離を縮めましょう」と言われても、その「とりあえず」ができない。
心にもない言葉を口にすることに、強い抵抗がある。
社交辞令が理解できず「これを言わないと仲間外れにされる」という場の空気のための嘘が、どうしても理解できない。
バレバレの嘘を言われるくらいなら、本当のことをズバッと言われる方がよほど有益だと思ってしまう。
何をすればいいかわからない時に動いたのは妻だった
集客塾や悪徳コンサルに関わった後、何をしたら良いかわからない時期があったが、そこで動き出したのは妻だった。
ホームページを作り直すために、デザイナーと知り合って詳細を聞き、SEOについてマーケティングに詳しい人に聞き、Kindle本の出版ノウハウを既に出版経験のある人に聞き、新聞社の人を紹介してもらうなど、ゼロから人脈を作っていった。

何をすればいいかわからない時に動いたのは妻だった

集客塾や悪徳コンサルに関わった後、何をしたら良いかわからない時期があったが、そこで動き出したのは妻だった。

ホームページを作り直すために、デザイナーと知り合って詳細を聞き、SEOについてマーケティングに詳しい人に聞き、Kindle本の出版ノウハウを既に出版経験のある人に聞き、新聞社の人を紹介してもらうなど、ゼロから人脈を作っていった。

会社員という働き方への違和感

これまで何の仕事にも興味が持てず、手に職を付けられなかった私が、15年ほどやって、ようやく手に職がつけられた感がある。
NPO法人が倒産したのも嫌だったし、会社員は安定していて悪くはないのだが、その会社の方針が入るので根本解決ができない場合が多い。
公的機関であれば、出社している時間しか関われないが、我々は24時間支援サポートのオープンダイアログ形式で顧客対応をしている。
本当に根本解決をするには、それくらいしないと変わらないと思っている。
私は会社で数字を上げているにもかかわらず、給与が上がることがなかった。
一方で営業や上長は、一日遊んでいる日があっても給与は保証されている。
だから、そもそもの会社員という雇用形態が嫌になってきたのもある。
公的機関は盆や正月でもカレンダー通りに開いているが、クライアントは来ない。
ただ、給与は発生する。
こういう働き方が、ものすごく無駄に感じた。
それなら、働く日は仕事を詰め込んで、仕事がない日は休みにすれば良い。
ただ、会社員である以上、これを実践するのは難しい。
だから、自営業をする必要があると強く思った。
人の倍、頑張っているのだから、倍は給料をもらっていいだろとも思っていた。

フルタイム勤務が難しい体と、同じ悩みを持つ800万人

現在もメニエール病の後遺症はあるし、調子が悪い日は目眩や吐き気で動けない。
そもそもフルタイム勤務自体が難しいと思っている。
私のような発達障害や、妻のような虚弱体質で、会社勤めやフルタイム勤務が難しい人が、世の中には結構いる。
令和4年の厚労省の発表では、発達障害と診断された人は87万人、グレーゾーンなど潜在的には800万人にのぼる。
全人口の1割近い数字だ。
これだけの人が、生きづらさを抱えているということだ。

ポンコツでも、自営業で続けられる

そういう方たちに、今回の我々の本を通して伝えたいことがある。
こんな酷い人生を歩んできた奴らでも、自営業でそれなりに続けることができて、自分のしたいことを仕事にできる。
だから、希望を持ってほしい。
私はかなり紆余曲折のある人生を歩んできたが、何とか生きているし、メディアにも取り上げられたし、Kindle本も2冊出せるレベルにはなった。
なので、あなたにもできないことはない。
興味が持てるものがあれば、特性に振り切ることで、定型発達の人よりもむしろ成功しやすいとも思っている。

発達障害だと診断されて良かった

40代になってから発達障害と診断されたが、それを友人や知人に伝えると、決まって不憫な目で見られたり「そんなことはない」と慌てて擁護されたり、同情の目で「大変だったんだね」と言われる。
正直に言うと、そんな共感は求めていない。
求めているリアクションは「へー、そうなんや」「薬が効いて良かったやん」「やっぱ、そうだと思っていた」というような、正直な感想である。
私は発達障害であり、ASD夫であり、元モラハラ加害者として世の中に出ている。
それを「そんなことはない」「普通やんか」と否定するのは、ヒールレスラーに対して「あの人は本当はめっちゃ良い人」と言うのと同じで、せっかく築き上げたブランディングを壊す行為だと自覚してほしい。
私自身は、発達障害だと診断されて良かったと思っている。
適切な治療を受けて薬を服用することで、症状が改善し、生きやすくなったからだ。
一般的には発達障害と知的障害を混同している人もまだまだいるが、私のIQは一般的な範囲である85〜115の間で、聴覚処理能力については114だった。
だから、普通に一般就労もできていた。
人生の大半は生きづらさが山盛りだったが、それらも全て受け入れて消化し、今は発達障害があるからこそ、こうして本も書けている。
幼少期から、野球もバンドも全て志半ばで終え、日の目も見ずに消化不良の人生だったが、今回は出版までたどり着いている。
生きづらさをどう改善したのかという方法論は、共感されて本やブログ記事のネタにもなる。
20代の私には、全く想像できなかった未来だ。

サポートがあれば、成功への道は近くなる

我々リフレクは、そういう方たち、つまり以前の我々のような人に対してサポートがしたいと思っている。
一人で頑張るのはかなり根気がいるが、誰かがサポートしてくれれば、成功への道はぐんと近くなる。
私の場合は、妻のサポートが人生において何よりも大きいが、我々があなた方の理解者になりサポートしたい。
私は、ただの集客コンサルタントではなく、現役のカウンセラーだ。
なので、あなた方の気持ちも理解できると思っている。
世の中を変えたいとか、そんな大それたことや実現不可能なことは一切言う気はない。
だが、私の目の前に座ってくれた人に対しては、モラハラであれ、公的機関であれ、集客の悩みであれ、全力で問題解決に努めてきた。
だから、そこだけは理解してほしい。

この記事を書いた人

経験と専門性

  • 夫婦でモラハラの問題を克服した専門家
  • ASD・ADHDの混合型診断済み
  • モラハラ加害者としての更生を実現
  • 週刊文春オンラインで連載で加害者心理と更生過程を完全公開

臨床経験(2010年〜)

カウンセラーとして幅広い支援経験

  • 公的機関での生活保護・生活困窮者自立支援
  • 福祉施設での精神疾患・発達障害者支援
  • うつ病の方の復職支援
  • 元受刑者・薬物依存者への更生支援
  • ひとり親・DV被害者相談
  • 企業内パワハラ相談
  • 自助グループ・セミナー開催

メディア掲載実績

新聞・雑誌掲載

  • 週刊文春オンライン(2024年11月 3記事連載)
  • 産経新聞(2021年9月)
  • 神戸新聞 まいどなニュース(2021年3月)
  • 中日新聞 ねぇねぇちょっと特別編(2021年12月)
  • ウレぴあ総研 ハピママ(2023年7月 3記事掲載)

テレビ・ラジオ出演

  • NHK「ほっと関西」(2021年11月出演)
  • KBS京都「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」(2021年9月出演)

全国11媒体でモラハラ解決の専門家として紹介

まとめ

幼少期から現在まで、8回にわたって私の半生を振り返ってきました。

鍵っ子で、何も話さない子どもだったこと

  • 父の暴力に怯え、顧問の暴力に怯え、それでも心を閉ざしたまま尖っていった10代
  • 何をやっても続かず、唯一、草野球と筋トレにだけ全てを注ぎ込んだ20代
  • 人前で初めて認められ、その反動で聖人君主を演じ、NPO法人を潰した30代前半
  • 「あなたは80歳まで売れない」と人格否定を受けながらも、自分たちでやるしかないと決意した日々
  • 38歳での結婚と、突きつけられた離婚危機
  • そこで妻が見つけてくれた「発達障害」という答え
  • あえて選んだ激務の中で、体を壊すまで気づけなかった自分の限界

そして、倒れてから、婆さんのチャリに抜かれながら再起し、文章が1文字も書けなかった1年間を経て、今、こうして記事を書けるようになりました。

振り返ってみると、私の人生は、失敗と奇行の連続でした。

同じ職場に長く勤められたことも、器用に立ち回れたことも、ほとんどありません。

それでも、カウンセリングという仕事にだけは、なぜか執念を持って向き合い続けることができました。

それは、私自身が誰よりも「生きづらさ」を知っていたからだと思います。

このシリーズを読んでくださった方の中に、もし今、同じような生きづらさを抱えている方がいたら、伝えたいことがあります。

続かない、うまくいかない、人並みにできない。

それでも、興味を持てるものに出会えたら、そこに全力で向き合ってみてください。

私のような人間でも、何とか生きてこられました。

このシリーズの内容は、今後Kindle本としてまとめていく予定です。

長い半生記を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

あなたのビジネスが一日でも早く軌道に乗るように、リフレクが全力でサポートさせていただきます。 

些細なことでも構いませんので、一人で抱え込まずに気軽にご連絡くださいね。

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